column
変わってしまった世界は確かにあった。どんなに眠ってもまたその夜が、あなたやあなたに来るのなら
この1週間、言葉の意味の分からない情報が沢山あふれた。街にもネットにも感情をあらわす沢山が言葉があふれた。悲しい。苦しい。切ない。泣きたい。どうしょう。可哀想。知っててくれて嬉しい。 変わってしまった世界は確かにあった。どんなに眠ってもまたその夜が、あなたやあなたに来るのなら、 僕は美しい色で世界を描いてあげたいな、世界は大丈夫だよって。今は嘘になるかもしれないけれど。 トクン・トクン・トクン。未来はきっと素敵だよ。 2011.5.19
光と影のコントラストは美しい。 人間にもある光と影のコントラスト。 影があるから光がキラキラと輝き、 その光によって影に色を与える。 もしあなたが誰かに七つの美しい色を見たのなら、 それはきっと七つの悲しみの影を見たのでしょう。 光は美しい。 影は美しいね。
2011.2.27
くり返しの美
ご近所さんに生物学の専門書をお借りしました。 僕にとって化学式はモナリザよりも美しい。 分子や細胞のくり返し。 その繰り返しが植物や動物、 鉱物などの美しいかたちを生み出していく。 2011.2.27
きのう夢に必要なものを集めてみた。 足りないものは作り出してみた。 今日、夢に必要なものを集めてみた。 足りないものは作り出してみた。 くり返すくり返す。 僕の小箱は星でいっぱいだ。
2011.01.21
キースに会いに南アルプスまで。 やっぱりキースは凄い。
2010.11.8
もし僕だけの世界があったら、それは全て正解なのさ。 もし君だけの世界があったら、それは全て正解なのさ。
2010.11.3
銀のドローイング
想像してみて。 見えない揺らぎに心を澄まして。 深く深く。 ミルフィールの様に世界を重ねる。 幾重にも幾重にも。 そういう世界を想像してみて。 僕が今キャンバスに描いたミルフィーユと、 君が想像したミルフィーユは、 ずいぶんと違うんだろうね。 それは素敵なことでしょう。 想像してみて。 2010.10.6
手帳とココアの記憶
去年の今ごろ、ブルガリアに住んでいる友人から天文手帳をもらった。手にして一年後の今、その手帳はスケッチや木星の衛星を追った計算式でボロボロになってる。夏にココアをこぼしたのは、痛かった。ボロボロだけど良い手帳だ。雑誌の書き写しに、人の話に、行きたいところも、ひらめいたことも、覚えておきたいことはすべてをこの手帳に書き込んでたので、アルバムとなって、宝ものとなって、本棚に。 2010.3.21
ソーダ水の音をきいている。記憶というのは。視覚より聴覚のほうがよほど優秀なのだろう。
2011.4.19
運命よ。僕が通る。そこをどけ。
2011.2.13
ピアノ
何かしらのはなし
自由が丘にあるセヌリエに。 セヌリエは、フランスの絵具メーカーで ここはその直営店のようなところ。 ここの絵具は、どれもこれも なにかしらの話を持っていそうな 魅力的な色ばかり。 ひとつひとつ 色を手にとって見てまわると いつだって おいしいコーヒーを飲みながら、 彼らといっしょに暮らしたくなってくる。 素晴らしいゴールドと出会い、 思わず、つれて帰ってきてしまった。 惚れ惚れする美しいゴールドと、吸い込まれるような赤。 明日、朝になったら、彼らからたくさん話を聞いてみよう。 そして想いの旅に出よう。 2009.12.4
心臓がキューっとしたら充分なのだと思うのです。絵も音も。理由はいらないね。キューは始まり。キューは恋。キューは鳥。キューは星。
2011.1.13
とらわれないこころ。かたよらないこころ。こだわらないこころ。ひろく、ひろく、もっとひろく。
2010.5.5
青の蝶
春草眠るおぼろなこの森に銀の涙-鱗粉落とす無数の蝶-揺らぐ夜に生まれ揺らぐ夜に眠る青の蝶 2010.3.7
Je veux dessiner la vue de nuit à Londres
Je veux dessiner la vue de nuit à Londres, à Paris, à New York, à Calcutta, à Changhaï, à Tokyo, et le monde. 2010.2.1
スクラップブック
雑誌に載っていた素敵なもの、綺麗な包み紙、世界中の笑顔な人の写真、好きなものや気に入ったものを切り抜いて、ノートに貼りつけている。今後やりたいこと、気に掛けてくださる方々からの言葉も忘れないように集めている。いま使っているスクラップ帳は3冊目。もちろん中身は誰にも見せていません。 2010.2.2
個と群れ
過去にあった現象で、5万人がある場所の屋根の上に、キリストのシルエットを見たそうです。 実はちょうど、その時に、太陽の磁気エネルギーが強まっていたそうで、どうも人間は、地場に影響をされて、同じ幻覚を見る可能性があるのではないか?と言われています。 歴史を振り返っても、通信手段が発達していない、ひと昔にも関わらず、 大群衆が同じ様なクーデターを、全く違う場所で同時に起こしたり、 革命などが起きた時も、決まって、太陽の磁気エネルギーが強まるタイミングにピタリと合うそうです。 以外と人間は「個」ではないのかもしれません。2009.6.6
我が人生に 意味はなし。とした瞬間に 開くセカイの音がある。
すこしセカイの見方をかえてみる。
もし、我が人生に意味はなし。としたら、
もし、あなたの人生も意味はなし。としたら。
たとえば地球レベルで自分を考えてみる。
あらゆる生命は、生まれ、生き、死ぬ。粛々とそのサイクルを繰り返している。
しかし僕ら人間にだけ、生きた意味や価値、結果、幸福観の探求が求められてきた。
自分は何者であり、
何をなすべきかという
そんなセルフ・アイデンティティの獲得に苦しむ人も多い。
それをもし、人生にそもそも意味はないんだぜ。と思考を逆転させたら。
アートなアートな制作も、生きてる間の暇つぶしなのだ。と楽観視したら。
人間は、特別な存在ではなく、牛や、豚や、猫と同じ、生まれ、生きて、死ぬ。そして次の世代に引き継ぐ。
そのサイクルの一員に過ぎないことを認めたら、明日から僕らは自由だ。
結局、誰でも最後は死んでしまうもの。
それなら、みんな毎日、好きなことして、
楽しく暮らせたらいいじゃないか。
そしていつでも楽しく暮らしてほしい。
あんなことしたら、モラルに反するとか、
あんなことしたら嫌われてしまうとか、あるけど、
楽しいことだけ選んでしたら、良いのだと思う。
我が人生に意味はなし。としたら、
そこに広がるのは、自由だ。中道だ。
ビートルズだ。
囚われないから、
どんな迷いも生まれない。
近所の猫から、そこはかとなく馬鹿にされた目で見られることもなくなる。
我が人生に意味はなし。としたら、
自らを拘束していた迷いの檻は外れるだろう。
そして志と度胸を獲得し、
哲学も、メメント・モリも飛び越え、
一瞬で真のセルフ・アイデンティティを獲得することだってできる。
そんなひとつのセカイの見方。
それが最近の僕のセカイのあり方。
2011.7.12
ひろげた地図のまん中にポツンとある緑色のところが僕の気をひいた。ここは宝の在処だな。行ってみよう。
2011.6.28
あらゆることが書かれていた。
20才ころ、感じたこと、思ったこと、そうしたことを、気が向いた時に綴っていた手帳が出てきた。 そこには、膨大な量のことばが書かれていた。 継ぎ接ぎにされた紙、挟まれた本の切れ端、何かを書いたドローイング。 不思議なことに、今、僕が知りたいと思うことは、すべてそこに書かれていた。 もしかしたら世界の事象は、もうこの一冊のノートに 書かれてしまっているのではないかと思うほど、 あらゆることが書かれていた。2011.6.28
自分の世界認識次第で、毎日はどんな色にでも変わる。世界が青いと思えば世界は青く。白いと思えば世界は白い。
2011.5.19
ミラという星を追いかけた夜に。
ふと思いを馳せる。 もう10年も前になる。 まだ絵を描きはじめて間もないころ 大きい絵なんて描いたこともない、 依頼なんて請けたこともないころ。 ただ描きたくて描きたくて、それだけで描いてたころ。 僕が絵を描いていることを誰も知らないころ。 絵とか描いて暮らせたらって思うんだよね。と言って、 みんなから、呆れられてたころ。 思わぬ切っ掛けで、 フランスにある大きなファッションブランドから 100号キャンバスに絵を描いて欲しいという依頼が入った。 100号というのは、1.5メートル角くらいある大きなキャンバス。 結局100号を4枚、壁画も、広告も、ほかにも色々な絵を沢山描いたけど、 今思えば、よくもまぁ、誰も知らない、へたくそで、駆け出しの不思議な少年に そんな仕事を頼んだものだと思う。 そのころ、僕は自分が描く絵がどう人から見られているかなんて、 興味はなくて、ただ少しずつ上手くなるのが嬉しくて、夢中で描いていた。 何を描きましょうかと問えば、 あなたの世界を描いてくだされば十分ですよ。 あれから、ずいぶんと絵を描くようになり、 いつしか仕事になり、どうにかこうにかやってこれた。 でも大義が好きな絵を描くことではなくなり、 仕事になってしまった。 絵を描くことがつまらなくなってしまった。 その後2年間、1枚も絵を描かないで暮らした。 そんなとき、もうひとかた、僕を見続けてくださっていた とあるご夫婦が食事に呼んでくださり言葉をくれた。 本当に素晴らしいこととは、人間の個性の美しさなんだよ。 昔のように君の個性や魂を作品にしなさい。 もったいないじゃないか。 探し物をしていると、いつだって、はい、お待ちどうさま。と、 賢者が現れる。不思議なものです。 それから僕は、頑張って絵を描くことをやめた。 これからは、昔のように好きなように楽しく絵を描こう! 星の絵を描こう!僕は星が好きだから。 そうして星の絵を描き始めると、 これまでよりも、よっぽど関心を抱いて頂けるようにもなった。 今、僕は、自分が素敵だなーっと思える絵だけを楽しく描いている。 10年前の絵をあらためて見てみると、 ずいぶんへたっぴで、目も当てられないけれど、 根底にある、僕だけの個性みたいな部分は磨いても磨いても、 磨き様がなかったし、磨くものでもなかったみたいで、 10年前と美意識なんてものは、ほとんど変わらない。 少しばかり、お上手になったくらいだった。 どうやら、感性とは、成長をしないらしい。 結局、描いた瞬間のころと、今描いたものが同じ匂いがするのだから。 この10年の間に、たくさんの技術も身に付いていた。 昔よりも、好きなものを好きなように描けるようになった。 あのとき、街なかで絵を抱えていた僕に、 ふと、お声をかけてくださり、あなたの絵は素敵ですと 大きな絵を依頼してくださったブランドマネージャーのIさんは、 ご結婚され家庭に入られ、 お元気で暮らされているご様子で嬉しい限り。 ふとメールを頂く。 ”今でもあのころ描いて頂いた沢山の絵に囲まれて暮らしています。 あなたの絵は見ていると明るい気分になる。” そんな言葉はとても嬉しい。 今日も広い世界を描こう。 この大きな絵もまた、あるの方のご自宅で長きに渡り、 一緒に暮らすことになるのだから。 ミラという星を追いかけた夜に。 2010.07.19